Antico Cafe JIRO

















クーポールの夜  油彩 12F


巴里の空の下セーヌは流れる
 巴里で生活していて、実に様々な国籍の人たちと廻(めぐ)り合うのは驚くほどである。この実感は、巴里と云う街がフランス人許りでなく、世界中のあらゆる国籍の人々をさり気なく呑み込んだ世界屈指の国際都市であると云う事を、改めて認識させて呉れる。そうして、各国から観光や学業、また仕事の為に寄せ集まって来る外国人たちは、その後長くこの都に腰を下ろす者もいるが、すぐに移動して去って行く者もあり、この離合集散の様がまた、巴里の及んで尽きざるダイナミズムを作り出していると云って了っても過言ではないだろうと思われる。
 そんな国際色豊かなこの都の魅力を、極めて限定された空間で味わう為には、世界中から学生や研究者、藝術家たちが集まって活動し、また暮らしている巴里市の南端に位置する国際大学都市(シテ・ユニヴェルシテール)を訪ねてみるに強くはないであろう。
ここには、緑豊かな四十ヘクタールの敷地の中に、沢山の国の名を冠した宿舎があり、サッカーが出来るくらいの広い芝があり、絵のモチーフにぴったりのプラタナスの林があり、また中央の歴史的建造物に指定された建物には立派な図書館や和気藹々としたレストラン、カフェもある。或いは映画の好きな人には、ここがジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『巴里の空の下セーヌは流れる』の舞台にもなっているのを御存知の事と思う。
 そうして私もまた、この大学都市に集まる藝術家の一人として、中央の建築物の二階にあるアトリエの一室を借りて創作に打ち込んだ一時期を持っている。そのアトリエの窓から、夜闇の下でシルエットになって連なる林を越えて、遠く遥かに輝き、瞬いている街の灯を眺めつつ、夜遅くまで仕事をしていたあの時分の充実感は忘れられない。
 また私はこの都市の、フジタのパトロンだった薩摩治郎八が建てた日本館、ル・コルビュジエの設計になるスイス館、それにイタリア館、デンマーク館にも住み、色々な国の人々と出会い、示唆に富んだ月日を過ごしたものだった。更に、日本館内の二つの壁いっぱいに飾ってあるフジタの何処か軽妙な味のある二枚の作品には、何時も私の詩魂を刺激して止まぬ、巴里を生きた芸術家の洒脱さを感じていたものだった。

 ※年間3ヶ月をパリで過ごす洋画家・宮崎次郎さんがパリの街と人々への愛着を綴る連載。全12回の最終回。

みやざき・じろう
1961年埼玉県生まれ。95年昭和会賞受賞。
97年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡仏。
現在、無所属。

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宮崎次郎