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ベルガモの詩人 油彩 10F
移動祝祭日
私の三十年に及ぶ巴里への敬慕の歴史の中で、最もその祝祭的な瞬間に触れる事が出来たのは、一体何時の事であったろう。恐らくそれは、フランスでサッカーのワールドカップが開催された1998年を措いて外に無いであろう。
私は学生時代、サッカー部に所属していた事もあってこの大会に掛ける期待は人一倍であった。そして日本代表チームがこの大会で初めて公式戦にデビューした事は、勿論その思いに拍車を掛けていたのである。
私はチケットの入手出来た範囲で、他国同士の対戦ではあったが地方で行われた試合も観に行き、日本代表チームが出場する試合は、主に巴里市庁舎前の広場に特設された大画面で、日本から来た応援団や同胞、更に沢山の外国人たちの中で大歓声に包まれて見入った。
日本代表チームの試合が済んでからも他国の優勝争いを、仲間を誘って街へと繰り出し、カフェでビールを飲み乍らそこに備え付けられたテレビで観戦していたものである
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それにしてもフランス代表チームが勝ち進むに連れて、否が応にもフランス国民の士気と団結力が高まって行ったのは圧巻であった。決勝戦が近付き、「決勝戦へ進め」と云う句に節を付けて街を練り歩く熱狂的なファンの群が目立つ様になった。そして、フランスがブラジルを四対零(ゼロ)で下して優勝が決まった。三色旗を靡かせまた翻らせつつ歓声と共に若者たちが誇らしげに疾走する自動車から顔を出し、けたたましくクラクションを鳴らして次々と往来を過ぎてゆく。私はあの夜、友人たちと、巴里市庁舎前の広場に面したカフェの奥のソファを陣取り、そのカフェテラスのすぐ先の角を、カーウ゛を切って歓喜の中(うち)に次々と走り去る自動車から乗り出した若者たちの姿を眺めていた。
「そんなに嬉しいか!」
私はペルノーのグラスを手にして、思わずそう叫んで了ったものだ。
処でこの大会を記念して、あの夏、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴ、そしてホセ・カレーラスの「三大テノール」がエッフェル塔前のシャン・ド・マルスの特設ステージに来て歌った。私も仲間を誘って足を運び、彼らの世紀の美声に聞き惚れて、短夜(みじかよ)の更(ふ)けるのも忘れていたものだ。
1998年、夏のあの一季は、私の「移動祝祭日」となって、これからも何度となく我が胸に、蘇って来る事だろうと思われる。
※年間3ヶ月をパリで過ごす洋画家・宮崎次郎さんがパリの街と人々への愛着を綴る連載。全12回。
みやざき・じろう
1961年埼玉県生まれ。95年昭和会賞受賞。
97年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡仏。
現在、無所属。
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