Antico Cafe JIRO

















サン・ルイ  油彩 12F


時代と街並み
 巴里と云う知名を耳にしたとき、人は先ず、何を思い浮かべるであろうか。恐らく多くの場合、すぐさま想起せられるのは、あの、整然と高さの一定した、計画都市の傑作の様な景観、見飽きる事のない都市美ではないだろうか。
 欧州諸国の古い都市を経巡ってみると、実に様々な、それぞれの街の近代化の成果を見て取る事が出来るが、必ずしも、成功している、しっとりと歴史と現代が調和しているとは言い難い例に出喰わす事がある。例えば、古代の遺跡と現代の街並がすぐ隣同士で接していたりと云った具合に。
 けれども、巴里は、その景観を守る為に、電線は地下に埋め込み、現代建築は、例えばポンピドゥー・センターやモンパルナス・タワーなどモニュメンタルなものを含む一部の例外は除いて、主に巴里市の外れや、都市近辺の郊外に建てるのが慣わしになっていて、その配慮の甲斐あって、漫ろに散歩する丈で、古代から近現代までの建築物を、次々と違和感なく眺め、愉しむ事が出来る。
 巴里の逍遙は、確かに時間旅行の感があると言えよう。下図見上げれば、十六世紀に建造された、通りに面した外壁が、一階と二階の継ぎ目の処で迫(せ)り出した、即ち二階より上の白壁が、緩やかな傾斜を成して屋根まで向うスタイルの建物は、ざらに見掛ける事が出来るし、また、十七世紀の、一階の中央に大きな両開きの、馬車が出入り出来る入口があり、二階の窓が、その天囲の高さを髣髴させるのに十分なほど縦に長い、王朝時代の香り漂う建築物も其処此処に見出される。
 また、知り合いの五区のアパルトマンを訪ねたとき、私が、天井に太くて古そうな木の梁が幾本も通っているのに注目して、その建築が何時ごろのものか訪ねると、十八世紀のものだと云う事であった。外から見た限り、巴里なら何処にでも見掛け得る、白い外壁のさりげない建物なのであるが。
 そうして、十九世紀半ばのナポレオン三世の第二帝政下に巴里のオスマン知事が行ったこの都の大改造計画の賜物が、今、巴里の中心部のブルーヴァールやアヴェニュと呼ばれる大通りに見られる、あの整然たる計画都市の壮観なのであるが、その代表的な眺めとしては、日本人が経営する店舗が軒を連ねるオペラ通りの、あの両脇の建物の高さの一定した、一直線のアヴェニュを挙げておけば、その典型的な例を得た事になるだろう。
 更に、屡々四辻に面した建物の角が曲線を成していて、その面にも窓があり、その天辺(てっぺん)は一際高く望楼の様になっている二十世紀初頭のスタイルの建築を見る時には、私は、漫ろにベル・エポックの巴里を髣髴して了うのである。
 絵画の描く上に於いて、私は、巴里のこの歴史の積み重ねの様な、或は、様々な時代を映し出す、時の鐘の様な都市美から、実に多くの事を学んで来たのである。

 ※年間3ヶ月をパリで過ごす洋画家・宮崎次郎さんがパリの街と人々への愛着を綴る連載。全12回。

みやざき・じろう
1961年埼玉県生まれ。95年昭和会賞受賞。
97年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡仏。
現在、無所属。

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宮崎次郎