Antico Cafe JIRO

















旅の楽人  油彩 6P


あこがれ
 巴里への憧れを育んでくれたもの、それは人によって様々であろう。モードであったり、料理であったり、或は現代思想であったりするかもしれない。が、私の青春時代を振り返ってみると、それは、映画であり、文学であり、そうして歌(シャンソン)であった。
 私が、これらのフランスの文化に親しみ出したのは、一体何時ごろからであろうか。少なくとも、高校生の時分には既に、未だフランスの土は踏まないまでも、その空気は身近なものになっていたのである。
 私もまたズボンの後ろのポケットに、岩波文庫を忍ばせて、喫茶店や公園のベンチで心の赴く儘、名作や名言を軸に空想を馳せ、また時の過ぎゆくのも忘れて物思いに耽る、そんな傾向を持った青年の一人であった。当時こう云った若者の風潮を俗にイワナミストと呼び慣わしていたものである。岩波文庫では、特に外国文学の翻訳書である、赤い帯の付いた本を最も好んで持ち歩いていた。まだ、カヴァの代わりにパラフィン紙が掛かっていた時代である。鈴木信太郎訳の『ベェルレエヌ詩集』や小林秀雄訳のランボオの詩集などは、その時分、最もよく親しんだ思い出の書物である。
 また、私がシャンソンを聴き出したのも大体同じ頃からであった。最初は、夜の銀座に出遊し、美人喫茶プリンスを経由して銀巴里に通った。美輪明宏の呟く様な歌い方に、「これが巴里なのかな」と新しい世界の先導者に聞き入る如く耳を傾けていたものである。それからレコードでピアフ、モンタンを始めグレコ、フェレ、ブラッサンスなどに聞き惚れた。こうして、海の彼方への憧れはどんどん膨らんで行く一方であったが、その憧憬に、或る種の決定的な形を与えたものが、映画であった。
 フランス映画に心惹かれ、早稲田のアクトシアターや池袋の文芸座に通い出したのも、矢張り、16、17歳の頃であった。そこで観た、思い出に強く残っている名画をざっと挙げる丈でも、すぐに2、30本のフィルムタイトルが浮かんで来るが、『望郷』『北ホテル』『巴里の空の下セーヌは流れる』『夜の門』『我らの仲間』などは、私のそれ以降のフランスへの憧れを決定付けた名作であると言っても過言ではない。これらの作品には、人生の夢とロマンが詰っていた。

 ※年間3ヶ月をパリで過ごす洋画家・宮崎次郎さんがパリの街と人々への愛着を綴る連載。全12回。

みやざき・じろう
1961年埼玉県生まれ。95年昭和会賞受賞。
97年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡仏。
現在、無所属。
11月に銀座・ごらくギャラリーにて個展開催予定。

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宮崎次郎