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Les Portes de la nuit(夜の門) 油彩 3S
ガストハウス 油彩 3S
夜の門
私の場合、黄昏と云う言葉の指すイメージは、所謂薄暗さとは違い、巴里の野暮に見られる様な、或る種の艶を帯びた薄明りと薄闇との混淆した視界が、極めて緩慢な推移のうちに徐々に夜闇に支配されて行く、そんな気配なのである。それは、昼ではないが、然し宵の口にも未だならない、云わばその境界線とでも呼ぶべき時刻である。
世の中への不満や批判を寓意に託し乍らシュールレアリスムの画家としてスタートした私は、またあの時分、何かを探し求めて心の赴く儘、よく旅に出た。所謂Deracine(デラシネ)の境涯に心惹かれていたのである。シュールレアリスムと並んで若い私に霊感を与え続けたウィーン幻想派の故郷を巡り、それまで描かなかった新たな主題を求めてスペインや中南米を彷徨(さまよ)い、また私の画業の汲んで尽きざる源泉であるジョットーの足跡を追ってアッシジを始め、イタリアの様々な都市を訪ね歩いた。
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そうして、その自身の彷徨する旅情に一区切りを付けるかの様に、1996年には、このDeracine(デラシネ)をサブタイトルにして個展も行った。そこで展示した作品群には、直接、旅で見聞きした人々や土地を描き込んだのではなく、私の人生に通底する旅情を抽象化して描き出したのである。
その翌年からの一年間、私は文化庁の在外研修員として渡仏する機会に恵まれた。その間私は、巴里の現代藝術の動向に積極的に触れると同時に、中世以来の西洋美術の流れを揺りと腰を落ち着けて研究した。またアトリエを借りて創作にも打ち込んだ。そんな充実した月日を過ごすうち、私の中に或る種の変化が訪れた。これまで、世の中に反抗し、何時も前を見て駆け続けて来た私は、その頃から不図、自分の来し方を振り返って見る事が多くなった。
黄昏の時刻は、セーヌの岸辺にひたひたと打ち寄せては引く漣(さざなみ)の様に、私の心に人生の過ぎた年月の幾つもの思い出を淡く甦らせ、郷愁の念を呼び覚ました。そして、幾つもの出逢いが、また別れが思い返されて来た。
二年後の個展に、私はSaudade(サウダード)と云うサブタイトルを付けた。このSaudadeはポルトガル語で、用い方により、実に様々な語義を表す事で知られる。
―そこはかとない後悔の念、望郷の思い、誰かに合い度いと云う切なる願い、友情、悲しく、然し甘味の漂った記憶……この言葉の意味する処は、総じて、人生の或る地点から自分の歩んで来た道程(みちのり)を振り返った時に沸き起る情念の全て、と言い換えてみてもよいものであろう。
爾来、私の仕事には、常にあの「夜の門」とでも呼び度くなる様な巴里の黄昏の中で感じたSaudadeの心境が、継続して反映され続けている。
※年間3ヶ月をパリで過ごす洋画家・宮崎次郎さんがパリの街と人々への愛着を綴る連載。全12回。
みやざき・じろう
1961年埼玉県生まれ。95年昭和会賞受賞。
97年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡仏。
現在、無所属。
11月に銀座・ごらくギャラリーにて個展開催予定。
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