昨年の11月に、私のここ十数年間に及ぶ画業を集大成した画集を求龍堂より出版し、またその記念に銀座のごらくギャラリーでは個展も開催した。
今振り返ってみてもつくづく思われて来るのだが、今回の個展はこれ迄のものよりも可成り大掛かりなものであった。ごらくギャラリーは、締め三階分の展示スペースを持っているのであるが、それらの全てを私は、自身の新作で埋め尽くしたのだった。この事を私の普段の仕事量に鑑みて概算してみれば、2回分の個展を開催するのに十分な数の作品を、一挙に世に問うた事になるのである。
それ故、今回は取り分け私になりに覚悟を決めて創作に打ち込んだ訳だが、今、その成果を閲(けみ)してみるに、それなりの満足感はあるものの、反省すべき点も多々あり、此の個展を一つの節目として、心も新たに再出発を期する次第である。
処で、一昨年の11月以来、個展の準備や画集の編集等の事もあり、訪う機会の得られなかったパリを、この3月に、凡そ1年4ヶ月振りに訪れてみたが、久し振りにパリに来てみると、藝術の都としてのパリの良さが、一入(ひとしお)実感せられて来るものである。
歴史の重みを感じさせる、名所旧跡そのもので出来ているかの様な端正な街並、その街の至る所に点在する大小様々の美術館、博物館、そうして、そこに生き付く人との交流の場として賑わうあの街角この街角の、それぞれに個性豊かなカフェ等々、それらの全てが醸し出す独特の空気(アトモスフェール)は、パリに来る度、私の心をリフレッシュし、また新たな詩情を掻き立たしめて呉れるのである。
思うに、パリを散策していると、一日に何度となく、不図目に付いた街角のカフェに漫(そぞ)ろに入って了うものである。そして卓上の飲み物のリストを手に取って眺め廻し、昼間ならば先ず大概はエクスプレス、即ちフランス風のエスプレッソを注文し、そのほろ苦い風味を賞味しつつ、窓から道行く人々や自動車の行き交い、その背景をなす景色などを眺め、また店内の客たちが会話する様子などにも注意を向けて、得に誰を見ると云うでもなく視線を移して行くのは楽しいものである。
或いは、テラスに坐れば、大好きなパスティスをちびりちびりと味わうのもよい。
宵の口ならば、夕食前の事とて、食前酒(アペリティフ)の一杯もひっかける。
夕食(ディネ)の後、燈火に照らされた夜闇の中に出て、何処か気の利いたカフェに入れば、熱いエクスプレスを啜り乍ら旅情に浸るか、もしくは食後酒(ディジェスティフ)のグラスを傾けつつ夢見心地に誘われてもみる。
こう云ったパリの漫ろ歩きのうちに、何度となくなされるカフェ巡りの楽しさは、嗜む飲み物の味わいや、その場の雰囲気もさる事乍ら、それが、フランス文化に通底する或る美質に裏付けられている事を、私は感ぜずにはいられない。
パリの特異さの一つは、フランス語と云う、発音が中音に整えられた言葉が、お喋舌り好きなフランス人が寄ると触ると決って会話と云う形になって街中至るところで交され、それが道行く人の耳にも心地よく響き、云わばこの都のBGMの如くに聞き做される処にある。
このフランス語と云う言葉の持つ音韻の美しさは、矢張り私をこの街に惹き付ける大きな魅力の一つとなっている。
そうして、この言葉が織り成すBGMとでも云った趣きのある人々の会話に、最も心地よく耳を傾けていられる場所がカフェなのではないかと私は思うのである。
この、目にも耳にも魅惑的な、パリのカフェと云う、私にとって特別な場所で、屡々私は、手帳を取り出しては仕事の草案を練る。
今回の旅で得たアイデアや感興も、また、これからの創作の中で、様々なモチーフとなり、また時には自分にも思い掛けない形となって、生きてくる事と思われる。
2005.4 宮崎 次郎
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