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作品に「願い想いを塗りこめる」洋画壇の奇才 [シリーズ]夢のちから 画家:宮崎 次郎さん

道化師、詩人、遊園地、動物…昼夜が交わる黄昏時の幻想的な風景を背景に、密めいた物語を繰り広げるその絵は、不思議なノスタルジーを湛え、観る人それぞれの心に揺らぎを与える。板絵に、ニスを溶かした絵の具をのせ、光沢を出した画風が、穏やかな色調で描かれる画面を際立たせる。画家・宮崎次郎さん(53)のモチーフは「Saudade(サウダード)」。ポルトガル語で<境界><郷愁><思慕>などを意味する。作品に「願いや想いを塗りこめる」と話す洋画壇の奇才に、心象風景のルーツを聞いた。

● 傷ついた少年時代
昭和30年の頃。まだアスファルトに舗装されない商店街には、酒屋や駄菓子屋が立ち並び、ところどころに空き地が吹き抜ける。開発と区画整理前夜の埼玉県浦和市、日本の原風景を背景に宮崎さんは幼少期を過ごした。生家は、代々続く開業医を営む。当然、物心つく頃には、医師へのレールが敷かれるが、家には既に兄という跡取りが存在した。小学生の宮崎少年は、浜松の開業医の家に養子に出されることになる。だが、物心のついたばかりの少年には、重い現実、急激な環境の変化に適応することは、到底できなかった。程なく、実家に戻ったが、親、社会への拭い去れない不安感ばかりが残った。

世の中に居場所を失った心地がし、必死に自分の心を支えようともがく。辿り着いたのは<絵を描くこと>。絵画の中で、自己を実現し、自ら居場所を確保しようとしたのだ。絵を描くことは、将来の夢や希望ではなく、必然性があってのこと、当時をそう振り返る。「親への反発心、でも歓心も買いたい。複雑な気持ちで描いていましたね」

高校では学業もそこそこに、映画や本、観劇にあけくれた。大学卒業を迎えるまでは好きなことをしていい。ただし卒業後はひとり立ちしなさいー 父母との約束もあり、感性の赴くまま毎日を謳歌した。当時、惹かれたという、中世の画家ジョット・ディ・ボンドーネ。アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂を描いたフレスコ画の大壁画は、どこまでも壮大で、その薄ピンク色の石造りの街並を心的情景に、青春は過ぎていった。

大学は日本大学芸術学部美術学科に入学した。「あまり真面目な生徒じゃなかった」と笑うが、年の半分を海外で過ごし、フランドル絵画(15世紀からバロック期にかけ、フランドルで隆盛した技法)、オペラ、民話を研究する傍ら、アルバイトで本の装丁を手掛ける。池袋の文芸坐(現・新文芸坐)、高田馬場のACTミニ・シアター(現在閉鎖)では、数百本にも及ぶヌーヴェルバーグ(1950年代仏に勃興した映画運動)等、古典映画を鑑賞した。お気に入りはフェデリコ・フェリーニ(伊映画監督)。全身で吸収した芸術のエッセンスは、画家として生きる現在も、基盤にしっかりと息づいている。

● 「画家」として生きる
大学を卒業するとすぐに画廊で展覧会を開いた。といっても、いわゆる商業的な画廊ではなく、小さな町のギャラリーだ。当時の作調は、シュールレアリスム(超現実主義:芸術の一形態)。アールデコ(装飾美術)にも似た世界観に落とし込まれた、シニカルで尖った表現が特徴的だった。

画家としての転機が訪れたのは、97年のこと。95年に昭和会賞を受賞した。そして、文化庁派遣芸術家在外研修員として、渡仏することが決まった。学生の頃から頻繁に渡る海外、しかし、観光に赴くのと、実際に住むのでは大違いだ。人種混交とするヨーロッパは単一民族の日本社会と違い、異邦人の黄色人種として扱われ、差別もある。だが、ひとたび表現者としての職務を全うすると、忽ち尊敬され、歓迎された。フランスでは芸術家を「神の道化師」と呼ぶ。市営・国営のアトリエも多く、内外の芸術家への援助も厚い。芸術の国の懐の深さ、大陸文化のシビアな空気を、全身で吸い込むと
(この国に永住したい)
ふとそんな気持ちが芽生える。

青年は、画廊と契約を結ぼうと、日々、忙しく街を歩いた。しかしフランスでの生活も、終わりを迎えることになる。就労ビザの期限、家族からの償還、現地で子どもを儲けるに至り、ついに帰国の意思を固めた。

帰国後も、精力的な活動は変わらない。開く個展は盛況に満ち、画家として確固たる地位を築いた。将来は再び海外での活動もあるかもしれない、曖昧な口調で含みを持たせ、
「でもどこにいても生きるだけで大変なものです。単純な意味ではなくてね」
と微笑む。絵画の魅力を尋ねると、上手い下手ではなくて、楽しんで描いた絵というのは、子供の描いたものであっても、見た人に伝わるもの、と語った。
「だから、僕の場合、縁あって絵をもってくれた人が絵と生活することで楽しんでくれたら、それが成功です」

幸せを最後まで祈るー 自身の絵画の象徴的背景である<夕暮れ>。
日没の刹那に顕われる、有限とも無限ともつかない、曖昧な境界。その瞬きの合間に、確かな祈りと希望をこめ、今日も静かに絵画と向き合う。

「MORGEN」2014年 7・8月合併号 No.150
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宮崎次郎