不思議な色使いの油絵から漂ってくるのは物悲しさ、それでいてどこか温かい。Saudade(ポルトガル語で郷愁や哀愁)−。南区にアトリエを構える洋画家、宮崎次郎(41)はこの言葉をテーマに作品を創る。
1995年、わずか34歳で画壇の登竜門・昭和会賞を受賞し一躍若手のトップに。97年に文化庁在外研修員としてパリに渡る。性格はいったって気さく。「どんどん個展をやって恥をかくのが作家の仕事」。日動画廊や日本橋三越でもたびたび個展を開く。
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昭和30年代から40年代、旧浦和市の仲町や高砂で遊んだ。駄菓子屋や老舗のお茶屋、大きな酒屋。郷愁や哀愁は子供のころの思い出。絵は欧風ながら、見ているのは日本の原風景だ。
若いころから引越しと旅を繰り返した。「自分は環境に適応できない人間。別の世界をつくり、そこで自己表現することでバランスを保ってきた」。それが絵だった。
20代にスペインで見た光景が忘れられない。噴水の前で瓶を割ってしまった子ども。父親はしかることなくこぼれた砂の美しさに見とれていた。「そんな親子関係がいい」。今は4歳と2歳の男の子の父親だ。
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