Antico Cafe JIRO

















ダゲールのブーケ  油彩 F6


ダゲール街
 私たちが何かに強く心惹かれて了う時には大概の場合、先ずその存在の特に際立って目立っている点に就いて、注目している事が多い。そうして、その特徴をよく観察したり、味わったりしつつ親しみが深まって行く。時が流れるに従って軈て、その親しみを覚えた存在の魅力に、更にもっと深い味わいが潜んでいる事に気が付いたとき、そのさり気ない表情が、表立っている特徴に負けず劣らず敬愛の対象として主張し出す。そんな体験を、誰もが一度や二度はしている筈である。
 曾ては私にとって、巴里と云えば先ず、サン・ジェルマン界隈がすぐに念頭に浮かんだものだ。あの知的で華やいだ空気は、巴里を訪れる度、私を真っ先に引き付けて止まなかったものである。それが何時の頃からであろう、私は、巴里の中でももう少し地味な、然し云わばこの都の隠し味になっているかの様な、さり気なく、然しそこはかとない魅力を湛えた、中心部から少し外れた界隈の街並を、探す様になり始めていたのである。
 そんな中でも、詩人金子光晴が巴里滞在中に定宿にしていた旅宿(ホテル)が二十二番地にある、モンパルナスの東南に位置するダゲール街は、ここ何年か、私が特別に愛着を寄せる通りとなっている。
 一見何の事はない商店街なのだが、カフェがあり、馬肉も売る肉屋があり、花屋、酒屋、チーズ屋があり、レストランがあり、書肆もあり、酒場(バール)もあり、と道の両側には次々と巴里人(パリジャン)たちの生活に欠かせない商店の賑わいが目を引き付け、その長い西北へ向うまっすぐな通りが尽きると、もうすぐそこが、繁華なモンパルナス界隈なのだ。東南の端はジェネラル・レクレール大通りに接していて、そこを渡り、近接するルネ・コティ大通りを南へ向うと、一個建ての家も目に付き出す巴里の辺境と云おうか、或いは郊外の始まりとでも云った趣のある街並へと変化して行く。畢竟このダゲール街は、そこを行き交う人々の雰囲気や、そこに息衝く商店の活気とに鑑みれば、巴里の殷賑な街並と閑静な地区の始まりとの正に境界線を成している風なのである。
 この通りを漫(そぞ)ろに歩いて行くと、ここに長く落ち着いて暮らしていた金子光晴の気持ちが分かる様な気がして来る。歓楽の夜の巷とも、緑豊かなモンスーリ公園のある区域とも適当な距離を取りつつ、その両方の酔い所、即ち刺激と安らぎを手頃に取り込んだこの日常の巴里の風情は、藝術家が仕事をするには、ぴったりだと思われて来る。なお、金子光晴が『ねむれ巴里』の中で触れているアトリエ横丁は、ダゲール街十一番地に今も健在である。

 ※年間3ヶ月をパリで過ごす洋画家・宮崎次郎さんがパリの街と人々への愛着を綴る連載。全12回。

みやざき・じろう
1961年埼玉県生まれ。95年昭和会賞受賞。
97年文化庁派遣芸術家在外研修員として渡仏。
現在、無所属。
11月に銀座・ごらくギャラリーにて個展開催予定。

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宮崎次郎