Antico Cafe JIRO

























 春、と一口に云っても、国により様々な春がある。そんな実感を抱いたのは、私が文化庁の在外研修員として、巴里に97年から98年に掛けて滞在し、更に継続して2年余り彼の地でアトリエを構え仕事に打ち込んでいた時分の事だ。日本で暮らしていると、四季折々の花が咲き、鳥の囀りや虫の音に満ち溢れたその豊潤な自然の中で、何の季節からも云わば当分の楽しみや味わいが見出され得るのを、兎角当り前の事の様に感じて了いがちだ。が、一度(ひとたび)緯度の高い巴里の様な都市に一年ほど滞在してみると、日本で経験する春夏秋冬の何(いず)れもがそれぞれに見所を発揮する調和の取れた四季の在り様が、実は極めて稀な例なのだと改めて気付かせられるのである。
 巴里の夏の明るい日差しは、9月の一月の間に、日に日に、目に見えて弱まって行く。10月に入ると急に空気が肌寒くなり、雨の降る日が多くなる。そして11月の後半くらいからは、朝の9時頃になって漸く空が白み出す長い夜に加えて寒さの厳しい、本格的な冬が始まる。この巴里の冬こそ、然し、私の様な絵描きにとってはまたとない、張り合いのある季節なのだ。外は氷点下十数度。そんな日、私はアトリエに籠り、雲に覆われた空の下、日中でも薄暗い景色を時々窓の向うに見遣り乍ら絵筆を動かす。建物は、古くは暖炉を用いて暖を取るのが慣わしであったが、今日では多くの場合、集中暖房の設備があり、部屋にいても廊下に出ても、建物の中にいる限り、外の気温と関わりなく暖かい。
 仕事が一段落すると珈琲(キャフェ)を入れる。苦みにこくが出るイタリア製の粉もいいが、ほろ苦く香りが引き立つフランスのものの方を私は好んで濾する事が多かった。そんなときにはきっとラジオのスイッチを捻ったものである。<Cherie FM(シェリーエフエム)>だの<Nostalgie(ノスタルジー)>と云った名前の放送局があって、四六時中シャンソンを中心にした歌の名曲を流し続けている。中学、高校の時分からフランスの文化に憧れ、シャンソンをヴェルレエヌを始めとする象徴派の詩やフランス映画等と共に味わい続けて来た私にはうってつけの選曲だった。
 仕事の後は友人などと共に、寒さが室内の温かさの所為で却って新鮮に感じられる街へと出て、珈琲店(キャフェ)に入る。大きな硝子窓でテラスも被われて了う冬には、その内側から、白もしくは琥珀色の街燈の折り成す薄明りの中を行き交う人影を眺めつつ,夜の更け行くのも忘れて、時の話題も含め徒然なる儘に会話を楽しむ。そんな宵には、屡々私は、薄切りの檸檬(レモン)を浮かせた温かい葡萄酒(vin chaud ヴァン ショー)のグラスを傾けたものだ。シナモンが絶妙なニュアンスを加えていた、あのほんのり甘い風味が忘れられない。
 11月から3月までの、一日の多くの時間に人工の光を必要とするこの巴里の冬に、落ち着いてじっくりと仕事に打ち込み、私は実に様々の事を考え、自分なりの発見をした。天候の変化に乏しく、空気が冷たく張り詰めたこの藝術の都の厳しい冬の日々が、画家としての自分の境涯を改めて、そして徹底的に見詰め直す絶好の機会となった訳である。
 急に日が長くなって驚かされるのは、3月の中旬に差し掛かる頃である。冬の間、5時か6時には日が暮れて了っていたのが、7時半を過ぎても青空が見えている。春が来たのだ。フランス語で自然の目覚め(reveil de la nature レ ヴェイユ ド ラ ナチュール)と云ったら春の訪れの事である。冬の間蕭条としていた公園のマロニエの木々が芽生え、黒い枝が緑色に点々と彩られ始めると、軈てその芽がみるみるうちに若葉となり、春先の日差しを透かす様になる。4月末から5月に掛けては、気温も暖かさを増し、街には外套を脱いだセーター姿が目立つ様になる。
 パリジャン、パリジェンヌだけでなく、鳩たちまでが口説き口説かれ、街路で接吻したりしている。セーヌの河岸には多くの若者たちが敷物を広げて美味しそうなものを摘み乍ら車座になって話に打ち興じている。燕たちがさざめきつつ水色の空を馳せ違う。巴里の春は正に自然の目覚めだ。そして私にとって、春は収穫の季節である。
 ヘミングウェイが一度、巴里に暮らした者が味わったその生活の感興は、その誤何処へ移ろうとも一生付いて回ると言った様に、巴里で身に付けた、冬の間に腰を据え、心ゆく迄自らの主題を深める習慣は今に至る迄私から去る事がない。

2007.1 宮崎 次郎 
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宮崎次郎