Antico Cafe JIRO
















無言劇の問いかけ -宮崎次郎氏個展によせて-
現代において寓話とは何だろうか。
「寓話」と聞いて私のアタマの中にすぐ思い浮かぶのが、ボッシュやブリューゲルの絵である。
キリスト教的、神話的理念や題材をベースに、様々なキーワードを同時多発的に画面に配置することで世界を構築した彼らの絵画は、まさに多くの隠喩と暗喩に満ちた寓話世界のように私たちの目に映る。しかしそれらの意味を正確に把握することは容易ではなく、また我々作家の領域を越えているように思える。だが、それら多くの寓話の根底に流れているのは「いったい人間とは何なのか?」というとても素朴な問いかけではないだろうか。人間とはなにか、そして我々は世界をどのように捉えればいいのか、という・・・。
だとするなら、その問いかけには普遍性がある。

私たちは彼ら北方ルネサンスの画家達からずいぶん遠くへ来てしまった。考えてみればその間に人間は様々な意識変革の洗礼を受けた。例えば地動説を、進化論を、相対性理論を、DNAの発見を、そしてコンピューターの発明とデジタル技術における情報伝達を。
「いったい人間とは?」という問いかけに、現代の人間はどう答えるのだろうか。
ヒトゲノム計画はやがて人間のDNAの配列を全て解きあかすだろう。バイオテクノロジーはいくつかのアミノ酸から生命を創造するかもしれない。遺伝子の膨大な情報はデジタル化され、コンピューターの中で脳が培養されるかもしれない。
デジタル化された生命の情報は劣化することなくコピーを繰り返し、それらはネットに乗って一瞬のうちに世界に等価値に伝わる。
劣化すること無く反復されるコピー、そこには内容の欠落もなく優劣もない。だがそこにあるのは多くの人々が夢見た「平等」ではなく、「均一」なのだ。
今私たちは、均一化されたアイデンティティーと平等であろうとする存在のハザマで自分のありかを必死に探している。
私たちはもはや、ボッシュやブリューゲルの絵に登場する他愛ない人々よりも、はるかに希薄な存在なのかもしれない。
私たちには寓話が必要だ。寓話に込められた素朴な問いかけが・・・。
宮崎次郎の絵の中には、私たちが忘れかけていた世界がある。
この一見素朴な無言劇の中にあるのは、存在に対する不安と喜びだ。
そしてこの絵の登場人物達が、はにかみながら語ろうとしているのは、寓話に他ならないのだ。

ムットーニ「自動人形師」

「1999 昭和会賞受賞記念 宮崎次郎展図録」 制作・発行 日動画廊
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宮崎次郎