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「宮崎次郎 サウダードから時間の堆積へ」
 − 西村孝俊 −

洋画家・宮崎次郎の7年ぶりの個展が開催される。

昭和会賞受賞によって鮮烈なデビューを果たし、銀座の画廊街と百貨店という市井の美術ファンと最も近く接するフィールドで活躍してきた画家にとって、7年という空白の期間は決して短いものではない。しかも51歳から57歳という、画家として一番脂ののった時期である。しかし画家はあえて世間から一歩離れた場所に身を置くことで、自らの絵画世界の深化を図っていた。その深化とは、一言でいえば安らぎの獲得である。

宮崎の画業はほぼ10年ごとに方向の転換が認められる。

30歳台。美大を卒業し、世の中を揶揄するようなシュールな画風がコアな美術ファンに評価され、銀座の企画画廊のグループ展に参加。昭和会賞を受賞して注目を浴び、文化庁派遣芸術家在外研修員としてパリに滞在するまでが30歳台の10年間だった。

40歳台。パリから帰国すると、シュールに変わって情感と哀愁が漂う画風へと変化した。画家自身はこのときのテーマを哀愁や郷愁を意味するスペイン語「サウダード」に求め、自らの絵画をサウダードの世界と呼んだ。日動画廊ほか銀座の画廊や日本橋三越での個展で広く一般の美術ファンにも受け入れられ、2004年「月刊美術」誌で洒脱なエッセイ連載「巴里の街角で」を担当した。このころ以前から憧れていた詩の世界に自らの絵画世界を重ねようと試みた。画集「サウダード」には、詩人・高橋睦郎氏の書き下ろしの詩が贈られた。2011年画家の新作絵画に詩人・野村喜和夫氏が詩を描き下ろすコラボレーション連載「薄明のサウダージ」(月刊美術)も、その試みの一つだった。同年、日本橋三越で開催された個展の会場では野村氏による詩の朗読も披露された。画家50歳の冬だった。

その後、宮崎次郎は詩画集の出版や客船「にっぽん丸」での展覧会など単発の仕事のほかにはコマーシャルベースの個展を開いていない。そのかわり、郷里である浦和のアトリエに籠ってキャンバスに向き合う毎日を過ごした。

数ヶ月前、数年前に描き始めた絵に筆を入れては棚に戻し、また別の絵をイーゼルにかけて塗り重ねていく。以前ならばもうとっくに「完成」していたはずの絵に、時間を置いて何度も筆を入れていった。

雪が降り積もるように何度も絵の具のレイヤーを重ねたキャンバスは、布地であることが分からなくなるほど塗り込められ、やがて画家の手の筆跡はもちろん絵の具のわずかな凹凸もなく、漆の工芸品のような滑らかな絵肌となって、美しい光沢を発する。それとともに人間の手の動きを感じさせるものも失われ、全くの静けさと落ち着きが画面に漂う。モチーフが走ったりジャンプしたりという動きを表していても、ダイナミズムよりもスタティックな落ち着きの方が勝る。

例えば《夜が来る》は、構図だけみれば夜空を男が飛んでいく光景を描いたものだ。しかし作品の色の落ち着きが感じさせる静かな安らぎによって、むしろ男はじっと動かずにいて、その周りを夜空と街の灯りが走馬灯のように流れ去っていくよう。しかもゆっくりと。このとき立ち現れるのは、絵画でしか伝えられない夜の心象である。以前の宮崎作品ならば、過去の記憶を呼び覚ます哀愁が基底にあったはずだが、今回の一連の作品はむしろこうした濃密な時間の堆積そのもの、ある種の重みをもった静けさと安らぎが作品の内実をなす。

ところで今展の副題「塗り込められた詩人の言葉」には、画家が敬愛してやまないヴェルレーヌやマラルメら詩人たちにインスピレーションを得て、その詩的情感とともに制作したことが窺える。しかし宮崎作品の中に、誰のどんな言葉が隠されているかを詮索してはいけない。なぜなら画家が詩人と共有したのは言葉そのものではなく、言葉では掬いきれなかった何かであり、そこに隠されているのは 詩人ですら言葉にできなかった内実なのだから。画家はそれを何層にも重ねた濃密な時間の厚みのなかに塗りこめるしかなかった。

宮崎次郎の作品世界を、ゆっくりと時間をかけて堪能して欲しい。シュールからサウダードを経て、時間の安らぎへと長い時間をかけて至った境地なのだから。船上の旅人が見飽きることなくずっと海を眺めるように、ゆっくりと。

 
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宮崎次郎